日本で吹替が一般化するのは、1950年代のTV草創期以降のこと。アメリカのドラマがTV放送されるに当たり、字幕スーパーの作成にかかるコスト防止や視聴者に対するわかりやすさという理由から、吹替版が製作されるようになりました。
現在では声優という職業も世間的に知れわたっていますが、当時はそのような呼称もなく、吹替版にキャスティングされたのは、新劇畑で活躍していた舞台俳優たちでした。
「アイ・ラブ・ルーシー」、「コンバット」、「奥さまは魔女」など、草創期の海外ドラマは、いまだに原語版よりも日本語吹替版の印象のほうが強いのではないでしょうか。
そんななか、テレビ朝日が放送していた「ララミー牧場」は、やがて「日曜洋画劇場」(開始当初は「土曜洋画劇場」)という日本初の映画放送番組へと発展していきます。この番組では、映画はドラマと同じく、すべて日本語吹替版で放送され、いまは亡き淀川長治さんが映画の前後に登場して、解説を行ないました(その後、他局で次々開始される洋画劇場も、この手法を踏襲することになります)。
番組が始まった当初は、TVの時間枠に合わせてカットされた映画をしかも吹替で観るなんて、と本格的な映画好きからは敬遠されていたようですが、当時はまだ家庭用ビデオも登場していない時代ゆえ、映画をTVで気軽に観られるというのは、視聴者にとってたいへん魅力的でした。
また、吹替版での放送は、子どもから大人まで幅広い世代を取り込むのに一役買いました。
余談ですが、当時TVで外国のドラマや映画を観ていたおばあさんが、「近ごろの外人は、日本語がうまいんだねえ」と口走った、などという笑い話を聞いたことがあります。
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